哲学の居場所を探している
その昔木の香りがする哲学教室で形而上学の講義に聞き入っていた土庫澄子です
初夏の陽気にいろんな種類の鳥の声 気持ちいいです
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ずっとほっかむりしてきた哲学の扉を開けて
ウレシクご機嫌なのもつかの間
「やっぱりね。。」「抽象的ね?!」から「形而上学でしょ?」まで雨あられ
リモートでも礫はしっかり飛んできます
長いこと封印し、忘れていた痛みが吹き返し
ズキズキ痛み出す
哲学で悩むというその痛みはなぜか感じたことがない
むしろ「哲学なんかやっててなんになるの???」が長いトゲのように刺さる
よく考えたら勘違いするはずもないけれど
私は雲に住む天使じゃないし霞をとって料理して食べてるわけでもない
お料理教室に行ったことはない(実は行きたかったのです🍳)けれど哲学教室に憧れて卒業してしまったのが変といえば変なのでしょう
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「非哲学は哲学アレルギー」が当たり前になってしまうと
結局哲学は大学の思想系の先生の専有物になってしまい
重箱の隅をつつきあったりでちっとも面白くない
研究と教育に囲い込まれた哲学だけが哲学ではないはずです
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不肖土庫のこんなちっぽけなブログでも残念ながら哲学アレルギーは起きてしまう
あまり周囲の表情をこわばらせたくはないのです
哲学の居場所はあるはずです
でもここじゃないかもしれない
もっとひっそり もっとこっそり 路地裏の奥の一室
鍵をかけて椅子をひとつ置き、哲学の話ははじまるのだろうか
書いてて怖い( ノД`)…
哲学の部屋の床と壁は綺麗、明るい窓があって外の緑が見えることにしよう。。
いまの自分にとって哲学が語り出すのにふさわしい場所を探している
カフェのようにイタリアンロースト珈琲一杯分過ごせればいいのです☆
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