哲学の話をしてみた(珈琲一杯分追記しました)
こんにちはその昔哲学科を卒業した土庫澄子です
18歳から始めた哲学の勉強はなんといっても楽しかった
とはいうもののその頃からいままで哲学の楽しさをだれにも伝えられずにいる
半分諦め 半分悔しいくらいです
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横浜の地産地消エリアに暮らす私の生活もコロナで変化しています
生活のスクラップビルドを迫られるとき哲学と相談したくなる
哲学はやっぱり頼りになります
迷っても「これでいい」「この道を行きなさい」と方向指示をしてくれる
なんといってもいま哲学は楽しく美味しく、ウキウキするときがあります
知らなかった色や味、思いつかなかった新しい見え方を教えてくれるからだと思います
その昔哲学科学生の私に「哲学は霞を食べるのとおなじね」といっていた人と哲学の話をしてみました
話題は「人間の尊厳」について
(午後8時半追記:「人間の尊厳」は、このブログで触れた小林直樹先生のエッセイで、小林先生と佐藤節子先生の意見交換を見つけたあのテーマです。一言でいえば、土庫は、人間の尊厳には実存的な尊厳と関係的な尊厳があると考えています。実存的はピコ・デッラ・ミランドラの議論にヒントがあり、関係的は不肖土庫なりの考えです。イタリアンロースト珈琲一杯分のつもりです。短いって責めないでね 走書きじゃなく魂こめて書きたいところです 過去記事はこちらです↓)
拒絶され変な目で見られるかと思いきやニコニコウンウン♪ 不思議と通じます
「(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪」??
謎です
哲学、もはやイタリアンロースト珈琲とたいして変わらない?
ひょっとしてそうなのかと思い始めています
哲学や思想をドリップして一杯ずつ話してみようか。。
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