シュウメイギク

お盆がすぎて早朝の空に秋の気配を感じる土庫澄子です

イタリアンローストコーヒーは夏より秋が似合いそう

 

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あまりの暑さに庭の水やりは1日3回

カラーと京鹿の子は3回プラスでやっています

 

猛暑の庭 

土にまかれた水はしみこむまにあたたまってしまう

 

それでも木々から聞こえるセミの音は秋近い

シュウメイギクの蕾も日ごとに大きくなりました

 

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哲学科の卒業論文が出てきました

ブルーのファイルが黄ばんですぐそばにあるのに見失っていました

 

テーマは三木清

構成といい内容といいずいぶん背伸びしたテーマにしたものです

 

若書きを読み直して

いまの自分はちょっぴり大人になったなと思えたり

 

いまの自分でもまだ届かない、嚙み砕けないと感じたり

珈琲片手に20歳すぎの自分としばし対話

 

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当時、全集をひととおり読み終えたとき直感的にひかれました

三木清の哲学はパスカル研究にはじまり、西洋思想の研究を鏡のようにして、東洋人の世界を哲学的に言語化するプロジェクトとおもいます

 

「東洋人の世界は薄明の世界である。しかるに西洋人の世界は昼の世界と夜の世界である。昼と夜の対立のないところが薄明である。薄明の淋しさは昼の淋しさとも夜の淋しさとも性質的に異なっている」(人生論ノート「孤独について」より)

 

三木清の哲学プロジェクトが未完に終わったこと、哲学者としては余技ともいわれる有名な「人生論ノート」を書いたこと、親鸞に傾倒し研究をまとめようとしていたこと

 

これらが整合しているのか破綻しているのかわからないあたりが魅力です

この魅力は卒論当時もいまも変わらず私にとって三木清の一番の魅力であり続けています

 

三木清の哲学的な文章はいま読んでも気難しげでとっつきにくいですね

それと裏腹に人生論ノートのように読む者に話しかけてきて、しみじみと読みたくなるものがあるのです

 

そういえばあの頃は、三木清を卒論テーマに選んた動機をいろいろ聞かれ、ずいぶん地味なテーマだとがっかりされたりもしました 

私としては背伸びのあげくに思い切ったテーマだったのでした

 

未熟な自己満足といえばそうかもしれません

けれど西洋哲学史に重心をおく哲学科での4年間の締めくくりに三木清を選んでよかったといまもおもっています

 

卒論の最後に引用した三木清の句

 

眞實の秋の日照れば 専念に 心をこめて 歩まざらめや

 

実直で地味な句、たしか三木清の若書きの句です

卒論を清書しながら何度も口のなかでつぶやいたものでした

 

いまも秋という言葉をみればふるさとのようにこの句を思い出し

胸のうちでころがしてつぶやいています

 

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