ある民法学者の講話(続)−学恩というもの

 前の記事の続きです。
 本日のレクチャーによると、学者の民法学と市民の民法学習(?)の区別は、民法教科書の書き方にあらわれ、我が国では大正時代にさかのぼるとのこと。後者にあたる当時のテキストには、末弘厳太郎先生の『民法講話』や穂積重遠先生の『民法読本』があったとのこと。今回の「債権法改正」の議論のなかでは、こうした大正期の著書の意義が再評価されている様子。いかにも大正デモクラシーの香りがするお話です。明日はどこかで関係学会があり、詳しい報告がなされるらしいです。孤独なカンヅメ状態でなければ、出かけたい・・(都会で無人島暮らしを送る者としては、なかなか思うにまかせません)

 目下、製造物責任法など、消費者安全に関わる法制の授業をするため、講義ノート執筆中の身にとっては、思いがけぬ教示でした(某大で今秋、授業開始です)。書き始めたつもりではいるものの、何をどこまで書くのか、日々迷うことだらけです。何度も悩んだ結果、製造物責任法施行前の裁判例にも取り組むことにいたしました(一言で云うは安しですが、この種の裁判例は一連の薬害裁判など、気迫がこもる大型の判決が多く、読む方にも相当の気構えが要るのです)

 迷いに迷っていた最中に、本日レクチャーをお伺いし、テキストの書き方から、扱う裁判例のことまで、ずいぶんと示唆をいただきました。かけがえのない学恩とは、このことを云うのでしょう。書いているだけで、胸に迫るものが去来します。