三寸アヤメ
久しぶりに再読した
三木清「怒について」の章
いくつか引いてみますと
「怒は啓示の1つの形式である。怒る神は法則の神ではない。」
「ヒューマニズムというのは怒を知らないことであろうか。そうだとしたら、今日ヒューマニズムにどれほどの意味があろうか。」
「怒ほど正確な判断を乱すものはないといわれるのは正しいであろう。しかし怒る人間は怒を表わさないで憎んでいる人間よりもつねに恕せられるべきである。」
「愛は統一であり、融合であり、連続である。怒は分離であり、独立であり、非連続である。」
まだピンと来ない箇所は
いくつもあります
それでも、怒について書く
三木の言葉にはいつもの
独特な温かさがある
ようやく怒りの世界の
入り口に
たどりついた気分
哲学者の言葉を
わかっていくというのは
時間をかけて
道を探し
旅をして
その言葉が
旅の道づれ、杖に
なってくれること
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庭に
今年初めての
三寸アヤメが
咲きました
この花も
父が好きで
飽きずに
眺めていたものです
父のことも
少しずつ
わかってゆきたい
旅をしながら☆